先日の土曜日の夜に久しぶりに映画を見に行きました。
ウォン・カーウァイ監督の「グランド・マスター(邦題)」です。英語だと「The Grand Master」、中国語だと「一代宗師」です。
ブルース・リーの師とされていた人物であり、詠春拳の達人として知られる武術家の「葉問」を描いた伝記のような映画で、当時の中国の歴史的背景が描かれていて興味深いものがありました。
たとえば、主人公は「抗日戦争」によって財産を無くし、イギリスによる植民地化にあった香港における身分証明書の発行によって、香港から出る事が出来なくなります。アメリカ映画のような勧善懲悪を期待して、誰が勝つのか負けるのか、といった話の展開や、最後はハッピーエンドで、というストーリを期待しても描かれていません。
確かに派手な格闘シーンもありますし、ワイヤーアクションも、多少過激なシーンもあります。でもそれは映画上での演出でしょう。
この映画では、ただ淡々と当時の武術家達の人生が描かれているだけです。
かなり昔に知り合いからウォン・カーウァイのビデオテープを貸してもらい、「恋する惑星」や「天使の涙」といった作品を見て、アジア人の美しさを再発見した、というか、いかに日本人がアメリカナイズされていたのか、ということを再認識しました。
今回の映画でもトニー・レオンやチャン・ツィイーの美しさには目を見張ります。
凛とした佇まいが格好よく美しかった。
小道具や大道具、町並みのセットなども当然ながら美しいのですが、今の日本のどこにその歴史が残っているのか考えてしまいました。
勿論中国でも上海などは超近代化が進んで大きなビルが数多く建てられいますから、東京や大阪も同じ風景になっているのでしょうから、今の中国が映画とは異なるのはわかります。
江戸時代に逆戻りするのが良いとは思いませんが、今の日本や日本人は、目に見えるものも見えないものも、大切な何かを無くしてしまった、と映画を見た後に今の日本や日本人について考えていて、そう思います。
ウォン・カーウァイ監督の映画を見ると、いつもそういう風に感じてしまうのです。
アジア人は美しい、日本人だって日本だって自然のままで十分美しいはずだ、と。